nishiiです。
最近、世の中の価値とはすぐに変わるものだと感じました。
と言いますのも知り合いがライブドア関連の株を持っており、
1月16日を境に株券を紙くず同然へと変貌していき、
いまだに売り抜けられずに困っています。
そこで2つの話を思い出しました。
1つは「千両みかん」という演目の古典落語です。
ある大店の若旦那が病気で死にかかって、死ぬ前に
みかんが食べたいと両親に言い出します。しかし真夏なので、
みかんなどどこにも置いていません。
そこで父の大旦那は息子のために何としてでも真夏のみかんを
探し出せと番頭に言いつけます。番頭は走り回って、
やっと一軒だけみかんが残っているという八百屋を見つけます。
番頭が話をするとこの季節のみかんは手に入らないから、
千両だとふっかけます。番頭が大旦那にそれを伝えると、
千両でもいいから買ってこいと言い、買ってきます。
千両出して買ってきたみかんを番頭が若旦那に手渡すと、
十房あるうち、七房だけ食べて、残りをおまえと両親で
一緒に食べろと言って番頭にみかんを渡します。
そこで番頭が考えます。
このみかんは一房百両もするのか。
ということは三房で三百両もするのか。
俺が奉公があけてもらえるのはせいぜい三十両だ。
そう言って三房のみかんを持って逃げちゃうという話です。
次に思い出したのは「さるかに合戦」です。
これは皆さんご存知の昔話ですが、今思うと不思議なことが
多く起こっています。
例えば冒頭の猿と蟹が出会うシーン。
猿が柿の種を持っていて、蟹がおにぎりを持っています。
それを交換して猿がおにぎりを食べ、蟹は柿の種を植えます。
その後、猿があげた柿が育って実をつけますが、
蟹は木の登れないので猿に取ってくれるようにお願いします。
というのが序盤のストーリーかと思いますが、柿の種は
実が取れる者が植えて初めて価値があるもので、
蟹が植えてしまっても取れないのは必然です。
現代風で言えば「ご利用は計画的に」と言われてしまいます。
この2つの話はいずれも昔から伝えられてきた話なのですが、
改めてモノの価値について考えてしまいました。
真夏といってもみかんなので食べてしまえばそれまでなのに、
勘違いして勝手な価値を自分で作り上げてしまっている番頭や、
柿の実がなっても自分ではとれないのに柿の種を植える蟹も、
もっと価値が上がるかと紙くず同然の株を持っている知り合いも
楽をしたいのは同じなんだと納得してしまいました。